何者かへの第一歩

日記を書こうと思い立ち、無印良品に走り日記専用のノートを買ったにも関わらず、三日坊主にも辿り着かぬ間に断念。人の監視があれば続くかなと思い、30人ほど参加している日記のLINEグループに参加してはみたももの、他人が自分の思っていることを知るなんて恥ずかしすぎる、そう思いこちらもすぐに見る専に。

そんな日記が続いたことのない私だが、ブログ日記を書きたい、無性にそう思った。どうせまたすぐにやめてしまうのだろう。そんな気も少しするが続く限り思ったことを書いていきたい。

なぜ私がまた文章を書く事を始めようと思ったのか。それはオードリーの若林正恭南海キャンディーズ山里亮太のエッセイ小説を読んだからである。

私は芸能人のエッセイを読むのが好きだ。これまでも志村けんやKemio、ガクトやローランドといった著名人の本を読んできた。芸能人の本を読むと、なぜかワクワクしてくる。自分もその本に書いてあることをすれば、有名人と同じ生活を送っている気分になれるし、いつか芸能人と同じ世界に飛び込むことができる気がしてくるからである。この感情は特殊なのだろうか。コイツ、有名人に憧れているのか。なんてことを知られたらなんて痛いやつなんだとか思われそうで誰にもこのことを言えたことはない。基本的にはそういった有名人の本は自分の部屋の本棚の奥の方に隠すようにして保管している。

今回、この2人のエッセイ本を読んで、自分もブログのような形で日頃思ったことを文章に残そうと思った理由。それは彼らと同じように文章を残すことで、自分も彼らと同じような大物になった気分を味わえるのではないかと思ったからである。

彼らの文章は非常に面白い。それはなぜなのか。

彼らはそれぞれ自分たちの本で、自分はクズである、と提言していた。自分はクズであるという自覚を持ち、世間にもそのようなイメージが持たれているからなのだろうか。自分たちの感じていたこと、思っていたことを包み隠さずに書いているのである。褒められても、どうせ思ってないんだろう、って思った。とか同期の健闘を心から祝えなかった。など自分をいいように見せようと言う書き方ではなくて、本当のことを真っ直ぐに書いていたのだ。

私にも負の感情は山のようにある。彼らの本の中で共感する部分がたくさんあった。この負の感情を包み隠さずに書くことで、自分の感情を言語化することができるし、自分にも向き合えるのではないか。彼らのように、自分の思いを包み隠さず曝け出して、文章を書く習慣を続けてみようと思う。